うな記

若者の感傷

2018-01-01から1年間の記事一覧

5月-7月, 1

顔の最大化

濱口竜介がどこかで顔のクロースアップは顔に読み取られる感情の最大化ではなく、画面外への視線の最大化なのだ、と言っていたらしい。たしかに『ハッピーアワー』におけるクラブシーンの鵜飼はこの典型になっている。この言葉で思い出したのが異様なまでに…

歩き出そうよ

と佐藤伸治が歌っているのがきこえる。

東京メトロ、mの感覚

東京には5メートルの感覚を人々に叩き込む巨大な装置が地下に存在しているのだ。

百合と可能世界

「東大法B3の女と慶應の情報工学科のM1の女のカップルがいるとするじゃん、というかいるんだけど、だってこの世界にいなくても可能世界にはいるじゃんぜったい、可能世界だから、可能なんだよね、やばくない?やばい。いるんだよね、で、いるならいるでディ…

当事者ではない、

当事者ではない、ということによる苦しみがある。 苦しみがあるならもはや当事者なのではないかということもできるわけだが、それでもなお彼我の差は歴然としていて、やはりなぜ私ではなかったのか?という疑問がつきまとう。この疑問は地震のあとの創作の原…

革命の実装について

われわれは、人類史上最も深遠な科学技術革命の一つを切り抜ける特権と責務とを負っている。今日の科学技術革命を特徴づけているのは、主に次のような二つの特色である。すなわちそれは、情報の創出と加工処理とに焦点を合わせたものである。その成果は過程-…

ノスタルジーと電脳コイル

電脳コイルの奇妙さは、未来の物語であるにもかかわらず、ノスタルジーに訴えかけることにある。そしてそれは過渡期の未来を描くことによる成果だ。ノスタルジーは記憶と結びついている。今ここにはないものを思いかえす、その行為の起点に記憶はある。十分…

ケベックのナイトクラブについて

ケベックにナイトクラブがあるのかどうかはともかく、少なくとも僕にはこのクリックハウスの名曲の名前として記憶されている。しかし実際にあるのかどうか確かめたことはなく、でもケベックは大都市だし(だよね?)ナイトクラブぐらいあるだろう、曲名にもな…

1月-4月, 2

1月-4月, 1

1/22 盛山和夫『制度論の構図』 2/4 エネべザー・ハワード『新訳 明日の田園都市』 2/15 中井久夫『世に棲む患者』 2/27 ハンナ・アーレント『人間の条件』 3/1 岸政彦『断片的なものの社会学』 3/8 東京ステーションギャラリー『くまのもの』 3/16 山田尚子…

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長文を習慣的に書かないと教養学部時代に身を削って文を書いてついた体力がどんどん失われていき終わってしまうことになると友人に脅されたのでブログを始めることにしました。よろしくお願いします。