うな記

若者の感傷

男ども

私がブログを書いているときはだいたい心が荒れているので、これを読む人にはこのことを覚えておいてほしい。

コーヒー

買っていたニカラグアの豆を切らしたので続きを買いに行った。ニカラグアの豆は初めてだったのだけど、かなり気に入っていたのでそのまま続けるか別の豆にするか悩んだ。が、同じものもつまらないので似た系統でペルーの豆をもらった。酸味が強く、赤ワインのような香りがするらしい。ゲイシャを買って飲んでいたときも思ったけれど、コーヒーの香り・味の表現は大概繊細すぎて私にはよくわからない。

コーヒーは人にいれてもらいたい

ので、朝はだいたい紅茶だということを高山なおみが『自炊』で書いていた。かっこいいと思って真似しています。恥ずかしい…。この本は孤独の強く滲んだよい本で、一人暮らしを始めた後輩に勧めたら素直に買っていた。いい後輩を持ったなと思う。自炊の孤独さに向き合った文章を読んだのは村上春樹以来のような、気もする。
実際人が来たときに自分とその人に入れるのがコーヒーだなとも思うので、つまり手間がかかるし、歓待の気持ちを表すのにちょうどいい。私はあまりしらない人の家に泊まってコーヒーを朝入れてもらうことに中学生のころから漠然とした憧れを抱いていて(中学受験の国語で読まされたキッドナップ・ツアーの影響だと思う)、実際自分の家に人が来たときにはそのようにしているが、自分自身はそのようにしてもらったことがない。私が人の家に泊まるのが苦手(ちゃんと風呂には入りたいし、ちゃんと寝たい)だからだということもあるし、そんなにみんなコーヒーを入れる習慣がないということかもしれない。
と、書いたけれど一度あるような気もしてきた。ただし紅茶だったかもしれない。しっかりとしたトーストがついてたのを覚えている。その朝の便で長崎へ行ってそのまま旅行の予定だったので、空港まで送ってもらった。人の車に乗りたい。

背骨について

宇佐美りんの『推し、燃ゆ』の良さは老人にわからないだろう推しの感覚を書いていることやタイトルが口触りよいことではなくて、何よりも身体感覚の表現の良さだと思う。推しは背骨であるのだという表明。すなわり自律というものは他律なのであり、かつこれは他者が徹底的に遠い存在だからこそ可能なのだ。この感覚はエヴァ旧劇場版での身体感覚とは対立するように思っていて、このことは私が旧劇場版があまり話としてわからない理由の一つだと考えている。おしもゆの主人公は推しとLCLに溶けたいとは絶対に思わないだろう。あの映画に関してはセックスが前LCL的なものとして描かれているのも苦手だ。私はセックスは徹底的に孤独を確認し合う作業だと思っている。だからこそ好きなのであり、私に推しというものがこの方ないのもこのためだ。

二足歩行は得意ですか?

香水の進捗

Replicaのwhispers in the libraryがやたらバズっていて、その事自体への反発をよく見た。すなわち個人の香りという差別化要因がバズってみんなつけるようになったら意味がないという話である。CK Oneをつけるだけで何かしらの部族に入ったような、そんな感覚があったらしい90sは遠い。ニッチフレグランスここに極まれりである。私自身は相変わらずルカ・トゥリンのガイドを読みながらいろんなものを試している。気づいたこととして、彼の強く評価しているものはauthenticに過ぎて、私が使うには若さが足りないということ。参考にはとてもなるけれどね。そのことを考えると彼の酷評するReplicaの流行る意味もわかる。質が悪くても若さは大事。

マスクへの親密さ

一年以上マスクが下着なみに肌にくっついた生活をしているわけだから、そろそろマスクへのフェチズムが生まれていてもおかしくないのだろうなと思っていたところ、ちゃんと生まれているようなので安心した。

就活について

就活は本当に規律訓練というべきもので、私の心の大事なところを丁寧にヤスリがけしてくる。本当に痛いし、結果私が号泣する。まあ、それでもやるんですが…。学習性無気力に陥りかねないなかよくやっていると思う。このあたりのことはいつかちゃんと書こうと思う。あと声を大きくして言いたいこととして、メンタルが大事な時期にエヴァを見直すのは本当に良くない。優れて映像的快楽に満ちているから、するっと入ってしまうけれども落ちるものはちゃんと落ちる。甘い酒みたいなものである。そしてものすごく後を引く。これが流行っていた時代の暗さ。