うな記

若者の感傷

見田宗介の文体

見田宗介の文体が好きだ。絶妙な漢字の開かれかたが、独特のリズムを作っていて、遠回りに見えるような書き方が一番まっすぐたどり着くものなのだと思わされる。
今読み始めたばかりの『宮沢賢治』からすこし引用する。もっと長く引用しないとわからないかもしれないが、ともかく。

宮沢賢治の書くものの中には、<汽車の中でりんごをたべる人>というモチーフが、くりかえし印象深くたちあらわれてくる。[……]人間が生のひとときを分かちあいながら、あるいは孤独を噛みながらたしかに生きたということを刻印するあかしのように、汽車に乗る人たちは、いつもりんごをたべている。あるいはりんごを手にもっていたり、ポケットにしまっていたりする。

というところで、この文体はどこからきたのだろうかということを考えている。たとえば村上春樹古井由吉なら翻訳を通して自身の文体を獲得したし、やたらと漢字をひらくことでしられる熊野純彦のあの文体はやたら漢字ばかり使っていた師の廣松渉の文体に対抗するものだろう。見田のばあいはどうだったのだろうか。はたして宮沢賢治なのだろうか。

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)