うな記

若者の感傷

20210419

2021年4月19日について

食事
  • はちみつトースト
  • レトルトカレー
  • オムライス
    • 玉ねぎ、ソーセージを米粒よりも小さくすること。
    • 卵はうまくまけない。
  • 珈琲
    • 100℃付近で入れたら香りがあまり良く出なかった。温度を下げる必要がある。
    • 酸味が強く出過ぎた。
  • 炭酸水
    • 1L強飲んでいる。
 なにをしていたか
  • 就活用の書類を書いた(0:00-4:00)
    • 人生最大のピンチが埋まらなくて困った。
  • 授業(10:00-12:00)
    • 面白かった。うまく頭がまわらない。
  • 散歩(14:00-17:00)
    • つつじを見ていた。春が終わると前を歩く人が言っていた。子どもが遊んでいた。
    • 神社で青木淳を読んだ。
    • 200円払った。
  • 睡眠(17:30-21:00)
    • 目がつかれたので人と通話して目を休めようとした。そのまま寝てしまった。
    • 男の声を聞いた。
  • 映画(21:30-23:00)
    • 二人分のオムライスを作りながら友人と映画をみていた。日活ロマンポルノ。
    • 卵がもうない。
    • コーヒーサーバーを割った。
  • コミュニケーション(23:00-23:30)
    • discord
  • 読書(23:30-0:30)
  • 記録(--2:05現在)
    • うまくmarkdownのインデントがはたらかない。
    • 仕事が終わらない先輩と話している。
  • どこかでゴミを捨てているが、思い出せない。
何が良かったか
  • つつじが枯れきる前に見られてよかった。
  • 神社が広場としてよく使われていた。
  • 久々に寝転がって空を見れた。
  • 神社が思ったよりも近かった。
  • 珈琲のノウハウがたまった。
  • 昨晩よりも精神状態がだいぶ改善した。
これからなにをするか
  • 風呂
  • 青木淳の残りの論考を読む
  • 早めに寝る

男ども

私がブログを書いているときはだいたい心が荒れているので、これを読む人にはこのことを覚えておいてほしい。

コーヒー

買っていたニカラグアの豆を切らしたので続きを買いに行った。ニカラグアの豆は初めてだったのだけど、かなり気に入っていたのでそのまま続けるか別の豆にするか悩んだ。が、同じものもつまらないので似た系統でペルーの豆をもらった。酸味が強く、赤ワインのような香りがするらしい。ゲイシャを買って飲んでいたときも思ったけれど、コーヒーの香り・味の表現は大概繊細すぎて私にはよくわからない。

コーヒーは人にいれてもらいたい

ので、朝はだいたい紅茶だということを高山なおみが『自炊』で書いていた。かっこいいと思って真似しています。恥ずかしい…。この本は孤独の強く滲んだよい本で、一人暮らしを始めた後輩に勧めたら素直に買っていた。いい後輩を持ったなと思う。自炊の孤独さに向き合った文章を読んだのは村上春樹以来のような、気もする。
実際人が来たときに自分とその人に入れるのがコーヒーだなとも思うので、つまり手間がかかるし、歓待の気持ちを表すのにちょうどいい。私はあまりしらない人の家に泊まってコーヒーを朝入れてもらうことに中学生のころから漠然とした憧れを抱いていて(中学受験の国語で読まされたキッドナップ・ツアーの影響だと思う)、実際自分の家に人が来たときにはそのようにしているが、自分自身はそのようにしてもらったことがない。私が人の家に泊まるのが苦手(ちゃんと風呂には入りたいし、ちゃんと寝たい)だからだということもあるし、そんなにみんなコーヒーを入れる習慣がないということかもしれない。
と、書いたけれど一度あるような気もしてきた。ただし紅茶だったかもしれない。しっかりとしたトーストがついてたのを覚えている。その朝の便で長崎へ行ってそのまま旅行の予定だったので、空港まで送ってもらった。人の車に乗りたい。

背骨について

宇佐美りんの『推し、燃ゆ』の良さは老人にわからないだろう推しの感覚を書いていることやタイトルが口触りよいことではなくて、何よりも身体感覚の表現の良さだと思う。推しは背骨であるのだという表明。すなわり自律というものは他律なのであり、かつこれは他者が徹底的に遠い存在だからこそ可能なのだ。この感覚はエヴァ旧劇場版での身体感覚とは対立するように思っていて、このことは私が旧劇場版があまり話としてわからない理由の一つだと考えている。おしもゆの主人公は推しとLCLに溶けたいとは絶対に思わないだろう。あの映画に関してはセックスが前LCL的なものとして描かれているのも苦手だ。私はセックスは徹底的に孤独を確認し合う作業だと思っている。だからこそ好きなのであり、私に推しというものがこの方ないのもこのためだ。

二足歩行は得意ですか?

香水の進捗

Replicaのwhispers in the libraryがやたらバズっていて、その事自体への反発をよく見た。すなわち個人の香りという差別化要因がバズってみんなつけるようになったら意味がないという話である。CK Oneをつけるだけで何かしらの部族に入ったような、そんな感覚があったらしい90sは遠い。ニッチフレグランスここに極まれりである。私自身は相変わらずルカ・トゥリンのガイドを読みながらいろんなものを試している。気づいたこととして、彼の強く評価しているものはauthenticに過ぎて、私が使うには若さが足りないということ。参考にはとてもなるけれどね。そのことを考えると彼の酷評するReplicaの流行る意味もわかる。質が悪くても若さは大事。

マスクへの親密さ

一年以上マスクが下着なみに肌にくっついた生活をしているわけだから、そろそろマスクへのフェチズムが生まれていてもおかしくないのだろうなと思っていたところ、ちゃんと生まれているようなので安心した。

就活について

就活は本当に規律訓練というべきもので、私の心の大事なところを丁寧にヤスリがけしてくる。本当に痛いし、結果私が号泣する。まあ、それでもやるんですが…。学習性無気力に陥りかねないなかよくやっていると思う。このあたりのことはいつかちゃんと書こうと思う。あと声を大きくして言いたいこととして、メンタルが大事な時期にエヴァを見直すのは本当に良くない。優れて映像的快楽に満ちているから、するっと入ってしまうけれども落ちるものはちゃんと落ちる。甘い酒みたいなものである。そしてものすごく後を引く。これが流行っていた時代の暗さ。

 

20

20, stop it.

kid fresinoの新譜があまりに良かったのでそのまま課金して配信ライブを観た。かわいい。新譜の曲を聴くつもりで課金したのでそのまま色々くるのかなと思ったらSpecial radioからLOVEまで聴きたい曲を全部やってくれる……LOVE……。客演こそかなり少ない(緊急事態宣言の影響でしょう)けれどカネコアヤノパートもカラオケでやってくれる……下手……LOVE……。結構良かったっしょ!ではないんだよな。kid fresinoといえばライブでは息が続かずバンドに負けて微妙な盛り上がりになりがちなイメージ。昔ゆるふわギャングを後ろに見たらライブが上手すぎて落差でウケた記憶がある。けどなんか上手くなってたし、なんか最大限のLOVEとサービスで泣いてしまった。現場いたら号泣ですよ。結局CDとTシャツも買って計いくらだ……?1万円弱ぐらいか。CDが5000円ですよ。誰もフィジカルなんか買わないんでしょうね。昨日届いて本棚に飾りました。fresinoの今のスタイルであるところの英語で意味を散らばせてバンドで豊かにするという路線はラップとしてはどうなんという気持ちになるけど一応成功してると思うので良いと思う。horseman's schemeあたりも好きだけどねそりゃ。なんか今作は賛否両論だったらしいのですけどたるいので一切見てない。LOVEやね。dodoの引用あると思ってるんやけどどう?

緊急事態宣言と未来

二回目の緊急事態宣言で、いま緊急事態であるっていうよりはこのままだと緊急事態になるという意味合いだろうと思うのですが、言葉の立て付けが悪いんやろね。なんか齟齬が生まれているのが見える。そこまで緊急事態じゃないじゃんみたいなことを言ってたりする人がいる。医療現場だと違うんだろうけどそういうのが見えてないという。でもこのままだとほんまにどこまでもヤバなるんは見えてるじゃないですか。数理モデルって一番わかりやすい未来予測なのでみんな見て未来を自分のものにするといいんじゃないか。それにしてもほんまにexponentialな増加してるの見るとうれしくなりますね。統計学数理モデルってすげー!って気持ちになります。そういえば前の緊急事態宣言のときいろいろみんながオレオレ数理モデルを作ってたのも未来を独占されたくないという気持ちなのかもしれないですね。そういくと納得いくな。K値とかどうなったんですかね?ありましたよね。自由を奪われている気持ちになるというのに未来を独占されている気持ちになるわけだからそら嫌やね。結局大事なのは自分で積極的に選ぶ、自分の判断でなんか引きこもるという選択肢を取るというところにあるので、カント以来なんも変わらんということになると思う。ただこの積極性みたいなのは贅沢なものでもあると思っていて、なんか全然通勤減らねえとか嫌味を言ってる人がたくさんいるのを見て、日本のやたら狭くて断熱もクソな住宅に引きこもってたら発狂するだろうがと思った。通勤に伴うノイズもないので頭がたいへんなことになると思う。まあ散歩とかしたらええねんっていうのはあると思うけどほんまに狭いよ、家族もおるし。建築計画学の責任なんですかね。なんか言ってるのかな?建築計画学な人たち…。建築がクソ狭いから都市に出るんだろうが。公園に行こうかな。

東京裏返し

吉見俊哉の東京散歩本がマジで良い。数ヶ月前に出版されたものらしいのだけど、最近見つけた。都心北部、上野とか本郷のあたりを扱うもので個人的にこの辺はよく歩く上に考えていたこともかぶっている、というか完全に上位互換なので完全に負けた気持ちになっている。さすが修論で都市のドラマトゥルギー書いたおっさんはちゃうで………(東大教授)。交通モードの速度の複数性の重要さってのはマジでそう。トラムの速度と歩行者の話とかマジで数年前に考えてたことなんだよな。上野戦争とか結構興味あったのに渋沢栄一の従兄弟が参加してたとかそういうところまで全部押さえられてなかったのでマジで悔しい。昔彰義隊のイベントでバイトしたことがあってなんか追悼の演武とかをやるっていうんで見せてもらったんですよね。全然採算取れないっていうんでこういう右翼もたいへんだなと思った記憶があります。歴史(東京にあった徳川幕府/明治政府/米軍による三回の占領)はともかく、聖なる時間、俗なる時間、学問の時間、みたいな枠組みは都市計画系の人はあんまり持ってないんじゃないかな。持っていてもうまく読解に組み込めているのを見たことがないんだよな。聖俗ぐらいはあるのは見るけど、点的な印象。すくなくともそこから数百年単位の歴史を結びつけるのがうまくない気がする。日々の実践としてはあるけどさあ。吉見俊哉がうますぎるという気もする。吉見俊哉に都市読解を指導してもらいたい。学環に突入するか……。

時間感覚

コロナで狂った、というか均一化された時間感覚というのがあって、斎藤環とかが言ってた気がする。あらゆる感覚情報が制限されている。これは要するにメリハリのなさであって、何が言いたいかっていうと最近3時間ぐらいで起きてしまうんですよ。これ主要因としては住環境、とくに断熱が終わってることにあると思うんですけどまあ疲れないしなんだかずっと起きてても寝てても同じなんだよな。寝れないとキツいけど。情報がフラットでとにかくしんどいっていうのは冬の彩度の低さもあって、あとはイベントがないっていう。逆に修正25条がどうとか聴くとちょっと嬉しいですよね。みんななんだかんだコロナを生き抜く術を獲得しつつあるので、前も聞いた気がするけどそろそろなんかまとめて聞きたい気がしますね。何してますか?生きてますか?スパイスカレー作ってますか?スパイスカレーってなんであんなに一瞬でできるのにうまいんだろう………。

失われた香り

スパイスカレーってなんであんなに流行ったかっていうと、手軽で料理した感じがあって楽しいっていうのもあると思うんですけど、嗅覚をとにかく刺激したというのがあると思っています。関係ないけど今多摩川見てるんすけど川久保玲ってマジいいな。どっから出てきた川久保玲。川です。2020年で一番失われた経験って嗅覚にまつわるものだと思うんですよね。SARS-CoV-2は嗅覚と味覚を失わせるし、マスクでそもそも香りを嗅げないし、いろんな場所の香りっていうのもあったはずなんだけど引きこもっていけなくなった。要するにみんな香りを欲してたんだと思う。香水がアレルギーで付けられないんで、うちでAesopのアロマキャンドル炊いてたんですけどスパイスカレー作ると一瞬で飛ぶからな。香り。このAesopのアロマキャンドルは常々2020ベストバイにあげてて、昨年の11月にリリースされたものなんですけど、このコロナが極まってきたタイミングで初めてアロマキャンドルを出してくるっていうのが超いいなって思ったんですよね。60時間弱の燃焼時間で14000円弱っていう超攻めた価格なんですけど。ドーバーでなんか店頭にちょこんとあるのを見つけてなんか覚えてたんで後からAesop銀座店いって嗅いだんですけどその場ではピンとこなかったけど最終的にネットで買いました。あとコピーとコンセプトがいいんですよね。コピーは孤独への癒しでコンセプトは古代の天文学者たち。とか言ってたら同居人にAesopのアロマキャンドル買うやつなんか孤独ちゃうやろといわれてしまいました。f:id:naturalradio:20210110094844p:plain

あたらしい身振りを探している

するりと休日が終わった。大量にコンテンツが無料で供給され、遠くのラーメン屋やカレー屋が通販をはじめ、状況に応答する作家たちが発信を始めていた。そのどれにも触れずに、一週間を終えた。緊急事態宣言がいつの間にか延長されていて、そのさらに向こうにあたらしい日常なるものが始まると予告されている。


いつからこの街に閉じこもっているのか、もうよくわからない。覚えている、最後に出かけるはずだった予定は等々力あたりまでパフェを食べに行くというそれで、予定の一週間前にそろそろもろもろが怪しいんじゃないかと相談して、とりやめることにしたのだった。ちょうどその予定していた日に緊急事態宣言が発令された。その中にまだいる。


この状況に際して、いくつかの態度が見られる。もちろん、僕の周りで採集できたものでしかないけれども、あげてみよう。
一つは、アフターコロナ論というか、コロナを機にユートピアを構想するもの。制約条件がわかりやすいから、短期的には未来予測がやりやすい。何百万人かが死ぬし、経済は終わる。明確な危機で、だからこそこのコロナの後こそは変革のときなんだそのために準備をしよう、なんていうふうに喧伝するもの。小袋成彬のnoteなんて、まさにそんな感じだ。

 

もう一つ、この状況へ強くコミットメントをおこすもの。職業倫理に支えられた専門家会議のメンバーたちを措いても、震災の記憶とトラウマが濃厚な教授たちは今がそこだというばかりに、躍動している。でも、これはスペシャリティを持つものに許された贅沢な選択肢かもしれない。スペシャリティを持たない僕らは少しずつ金をクラウドファンディングと近所の飲食店に落とすしかない。


どちらもこの状況のストレスを躁的に駆動している。ただ、躁は一瞬で鬱に転化する。そのむこうにあるのは、仄暗い諦念だ。この路線として代表的なのものとしてミシェル・ウエルベックが挙げられる。

immoue.hatenablog.com


作家業だから生活としてはほとんど変わらない。この疫病が終わっても、少し悪い世界になっているだけだろう…というもの。さすがのウエルベックというべき慧眼だろう。

 


ダニエル・デフォーはペストに襲われたロンドンに居住し、ペストを乗り越えた社会においても、かつての分断はなにも変わらなかった、という記録を残している。

疫病流行前、わが国の平和を乱していた元凶こそは、まさしくこのはてしなきいがみ合いの根性であった。その根性も、要するに、イギリス全体を流血と混乱の悲劇にまきこんだ、あの古い敵愾心の名残りといわれていた。しかし、恩赦令が公布されて国内の相克が鳴りをひそめたこともあったのである。政府当局があらゆる機会をとらえては家庭の平和、対人関係の平和を全国民に向かって呼びかけていたことは当然であった。しかしそれも要するに無駄であった。ロンドンの疫病が終息したあとでも、事態は一向に変わってはいなかった。流行が激烈であった時に、市民たちが苦しみをともどもになめあっているのを目のあたりに見、互いに慰め合っている姿をじかに見た者は、今後はわれわれはもっと愛情をもたねばならぬ、他人を責めることはやめねばならぬと固く心に誓ったはずだった。そういう光景に当時接した人は、だれだって、こんどこそまったく生まれ変わった精神でみんなでいっしょに仲良くとけ合ってゆこうと思ったはずだった。ところが、どうしてもそれができなかったのだ。争いは依然として残っていたのだ。英国国教会派と長老派とは依然として氷炭相容れなかったのである。*1


ウエルベックのいうほど、ものごとが変わらないかはわからないけれども、デフォーのみたロンドンに似て、分断が統合されることはないだろう。ただ若者の責務として、ウエルベックほどの諦念に落ち着きたくはない。躁的に動きつづけるのも一つかもしれない。でもやってくるらしい、あたらしい日常と緊急事態による躁は両立しないだろう。この加圧されたことによるアドレナリン分泌のカーブを平坦にしつつ、伸ばしていくことが必要なのだと思っている。加圧を逃す身振りが必要なのだ。


そこで、そう、あたらしい身振りを探している。


ひとまず僕がやっていることを共有しておこう。

自炊を始めた。もちろん、外食しづらいということもあるけれど、テイクアウトが豊富な環境なので、理由はそれだけではなくて、台所という場所に魅せられている。食寝分離とはいうけれども、世界が殺到してくるようになった寝室/個室に対して、台所はあくまで台所で、やることが明確だ。もちろんダイニング兼キッチンであるから、そこではなにかしらの盛り上がりはあるけれども、でも、世界にさらされているわけではない。機能と壁で区切られた空間で、スパイスを計量し、パスタを茹で、魚を煮る。ただ食事をつくることでパニックを遠ざける時間をもてるように思う。

 

これを読んだ皆さんの、圧力を逃す身振りを教えてほしい。

*1:ダニエル・デフォー. ペスト (Japanese Edition) (Kindle の位置No.5506-5516). Kindle 版.

雨の日はよく眠れる

友人から何通か心配した連絡が来て、なんだかんだうれしい。雨の日はよく眠れるのでいい。ずっと降っていてほしい。着るものはたくさんある。前の記事でiPhoneへの愛憎の話をしたけれども、ここ最近は部屋そのものがそれにとってかわってしまった。ここで全て起きているし、逃れられない。休まる場所はない。

気晴らしに料理をしている。続かなかった自炊がここ最近はなんだかんだ続いていて、でもそろそろ自分の味付け以外のものが食べたい。皿洗いをしすぎて手が荒れてしまった。思ったよりも洗っている。何か救いになることをやる。料理は救い。ネイルも楽しい。旬のものを食べる。身体の一部に色を塗る。綺麗な色が視界に入る。嬉しい。

音楽を聴く。タバコの量が増えている。タバコの後の珈琲が一番美味しい。

iPhoneへの憎しみ

かつてミシェル・フーコーがミクロな権力の網目として、人々の繋がりを描き出したとき、それがどうしようもなく息苦しいものであったのは、人々の中で生きる限り、文字通り逃れえないようなものとして、描かれていたからだった。そこに今や、人と人の間にある権力関係のよこには、iPhoneが挟まっている。
Zoom越しの会話も、仕事が降ってくるのも、恋人の電話も全てiPhoneに届く。iPhoneが全てなのだ。だから、かつてと違って、とりあえず憎む対象がよくわかっている。iPhoneだ。これをどうにか投げ捨てれば、あの忌まわしい網目から逃れられるような、そんな気がしてくる。だから、もうこの端末を今すぐ捨てよう。そう思って、未だ踏み切れないところにこの憎しみがある。

疫病が流行って、世界経済が共倒れしつつある。とりあえずPMIとかを見る限り、まだリーマンショック級とは言えないけれども、今後の対応、財政出動なりで下手を打てば相応の結果になるだろう。短期的には辛い現実が来そうだ。ここに加えて地震が来たら?と考えずにはいられない。そうなったとしても、明日には大学院入学の書類を出しに行く。

夜に美味しいコーヒーが飲みたい

covid-19の影響でいろんなビザが停止になり、予定していた旅行が全部消えた。ひとが少なくなった東京でぼんやりとしている。なんとなく風邪っぽい気もあるので、厚労省の言うとおりに人混みにも出かけていない。そうなると東京にいるメリットはほとんどなくて、たまに友人たちに会うぐらいのものでしかなくなる。東京以外にいれるところがあるわけでもないので、しかしいつもと変わらずぼんやりしている。そうこうしている間に古井由吉が死んで、ちょっと読み返すけれど、あまりにも小説世界と生活世界が変わらない気がするので、そこそこにしてやめた。

田端銀座から大学まで歩いた。歩きながら話すのは厚労省的にも大丈夫だろうと思って安心して歩いた。歩くのは好きだし、それが無為だともっといい。無為に歩きながら話せるともう望むことはない。これ以上ぼんやりできることはないと思う。久々に歩いたからか、足の裏が痛くなった。
田端銀座にいたのは、友達がバイトしているイタリアンがあるからで、ひとと示し合わせて迷惑をかけにいった。イチジクのペペロンチーノとキノコのピザが美味しかった。友達がいつも通りの調子で働いていて、面白くて、安心した。役割と領域の侵犯があるかと思いきやそんなないような、もしかしたらあったのかもしれない。近いからまた行くだろうとおもう。

大学で講師が片付けをしている。バイトに行く。いろんな人間がいろんな話をしている。問題は解決しない。

夜にお酒が飲める店はたくさんいるけれど、夜にコーヒーが飲める店は少ない。深夜帯こそコーヒーを飲んでリラックスしたいのに。同じ嗜好品の部類なのだからバーに置いてくれてもいいのになあといつも思っている。都内の純喫茶の類は大体11時までには閉まってしまう。深夜帯と言わずとも夜に営業していてくれるだけでありがたいけれども、一番飲みたくなるのは徹夜明けで、その需要に応えてくれるのは滅多にない。椿屋珈琲は朝4時5時まで空いているので重宝する。高いは高い。

なんか流行っていて遠ざけていたTohjiをちゃんと聞いてその周辺も追いなおしている。めっちゃいい。ゴジラの曲とRodeoの曲がいい。小袋成彬のアルバムに入っていた曲もいい。酒がそんなで、煙草とコーヒーと純喫茶が好きそうなのもいい。まあどハマりしていると言っていい。気づいたことで、ジャケットとかを見てくれるとわかるのだが、Tohjiはマジで大体上を見ている。マジでPVもポスターも大体上を見ている。こんな上を見るラッパーいないんじゃないだろうか。みんな目線を合わせてくるからな。


新しい服が欲しい。