うな記

若者の感傷

iPhoneへの憎しみ

かつてミシェル・フーコーがミクロな権力の網目として、人々の繋がりを描き出したとき、それがどうしようもなく息苦しいものであったのは、人々の中で生きる限り、文字通り逃れえないようなものとして、描かれていたからだった。そこに今や、人と人の間にある権力関係のよこには、iPhoneが挟まっている。
Zoom越しの会話も、仕事が降ってくるのも、恋人の電話も全てiPhoneに届く。iPhoneが全てなのだ。だから、かつてと違って、とりあえず憎む対象がよくわかっている。iPhoneだ。これをどうにか投げ捨てれば、あの忌まわしい網目から逃れられるような、そんな気がしてくる。だから、もうこの端末を今すぐ捨てよう。そう思って、未だ踏み切れないところにこの憎しみがある。

疫病が流行って、世界経済が共倒れしつつある。とりあえずPMIとかを見る限り、まだリーマンショック級とは言えないけれども、今後の対応、財政出動なりで下手を打てば相応の結果になるだろう。短期的には辛い現実が来そうだ。ここに加えて地震が来たら?と考えずにはいられない。そうなったとしても、明日には大学院入学の書類を出しに行く。